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インド最初期の女性ロックバンド、ザ・レディバーズ(The Ladybirds)

インドにおける女性バンドの歴史を振り返ると、2002年以降にオーディション番組『Coke [V] Popstars』から誕生したViva!アースマなどが大きな転換点として語られることが多い。しかし、それより30年以上も前、1960年代後半のボンベイ(現ムンバイ)には、女性たち自身がギター、ベース、ドラムを演奏するバンドが存在していた。それが、インド最初期、資料によっては「インド初のオール・ガール・ロックバンド」と紹介されている、ザ・レディバーズ(The Ladybirds)だ。

ザ・レディバーズの中心人物となったのは、ファリダ・ヴァキル(Farida Vakil)。

彼女はボンベイのバンドラにある聖ヨセフ修道院に通っていた学生で、16歳頃に同級生たちとザ・レディバーズを結成した。メンバーは、リードギターとヴォーカルを担当するファリダ、ドラムのマーリン、ベースのジェニー、リズムギターのザリナという4人。女性ヴォーカリストを男性ミュージシャンがバックアップする形ではなく、女性たちだけで基本的なバンド編成を成立させていたところが重要なのだ。

結成のきっかけは、いかにも学生バンドらしいものだった。ファリダの回想によれば、学校の昼休みにマーリンが机をドラムのように叩き、それに合わせて彼女たちが歌ってみたところ、ハーモニーの相性が非常によかった。そこからマーリンが本物のドラムセットを手に入れ、ジェニーがベース、ザリナがリズムギター、そしてファリダがリードギターを担当するようになり、本格的なバンドへと発展していった。

彼女たちが活動を始めた1960年代後半は、インドのロック史において非常に興味深い時代でもある。当時のボンベイ、カルカッタ、デリーなどの大都市では、ビートルズやローリング・ストーンズをはじめとする欧米のロック、ビート、ポップスの影響を受けた若者たちが次々とバンドを結成していた。ザ・サヴェージズ(The Savages)やザ・ミスティクス(The Mystiks)などが活躍し、ホテル、クラブ、学校、大学、ダンスパーティーなどを中心に、映画音楽とは異なるインド発・洋楽シーンが形成されつつあった。

しかし、その世界は圧倒的に男性中心だった。女性がステージに立つこと自体は珍しくなく、後に国民的歌手となるウシャ・アイヤー(Usha Iyer/後のウシャ・ウタップ(Usha Uthup))のように、ホテルやナイトクラブで西洋のポップスを歌う女性シンガーも登場している。ただし、女性が自分たちでギターやベース、ドラムを手にしてロックバンドを結成するとなると話は別だ。その意味でザ・レディバーズは、単なる女性バンドではなく、インドの女性ロック・ミュージシャン史における極めて早い例だった。

なかでもファリダがリードギタリストだったことは特筆すべきだろう。現在でもロックやメタルの世界では、女性ヴォーカリストに比べて女性ギタリストやドラマーの割合は決して多くない。まして1960年代のインドで、10代の女性がエレクトリックギターを抱え、バンドのリードギターを担当していたことを考えれば、その異例さが分かる。

彼女の存在は当時のメディアからも注目された。1971年、若者文化を扱った雑誌『Junior Statesman』は19歳のファリダを取り上げ、「ファリダ・ヴァキルはポップ界のジャーンシー・ラーニーになるだろうか?」と紹介している。ジャーンシー・ラーニーとは、1857年のインド大反乱でイギリス軍と戦ったジャンシー藩王国の王妃ラクシュミー・バーイーのことだ。インド史を代表する女性英雄になぞらえてファリダを紹介したことからも、当時「ギターを弾く若い女性」がどれほど新鮮な存在として受け止められていたのかがうかがえる。

ザ・レディバーズは、単なる学校内の趣味のバンドにとどまらなかった。ファリダの父親が彼女たちの活動を積極的に支援し、事実上のマネージャーとして舞踏会やパーティーなどの出演を取り付けていたという。その結果、彼女たちは学校の外へ飛び出し、当時のインド発・洋楽シーンで実際に演奏するようになった。

一方で、ザ・レディバーズの活動期間はそれほど長くなかった。当時のインド社会において、女性が10代から20代にかけてバンド活動を長期間継続することは、現在以上に難しかった。メンバーのザリナが結婚して国外へ移り、マーリンもゴアで結婚するなど、それぞれの生活環境が変化したことで、バンドは自然に活動を終えていった。

しかし、ファリダの音楽人生はそこで終わらなかった。The Ladybirds解散後も彼女は演奏を続け、男性中心のロックバンド、ザ・ライオット・スクワッド(The Riot Squad)に参加する。そして、1970年代初頭のインド・ロック史を象徴するイベントのひとつであるシムラ・ビート・コンテストへとつながっていく。

シムラ・ビート・コンテストは、1970年から開催された全国規模のロック/ビート系バンド・コンテストで、インド各地から若いバンドが集結した。さらにコンテスト参加者の音源は『Simla Beat 70』『Simla Beat 71』などのレコードとして残され、現在ではインドのサイケデリック、ガレージ、ロック史を知る重要な資料として再評価されている。ザ・レディバーズそのものの録音資料が広く流通しているわけではないため、ファリダがその後こうしたシーンへ接続していった事実は、ザ・レディバーズをインド・ロック史の流れの中で捉えるうえでも重要だ。

また、ザ・レディバーズが長らく一般的なインド音楽史の中でほとんど語られてこなかったことも興味深い。インドのポピュラー音楽史は映画音楽を中心に記述されることが多く、1960〜70年代に存在したロック、ジャズ、ビート、サイケデリックなどのシーンそのものが、後年まで十分に整理されてこなかった。さらに、その中でも女性器楽奏者となれば記録は一層少ない。そのためザ・レディバーズは、インド音楽史の中に確かに存在していながら、長い間忘れられていた存在のひとつだったともいえる。

その状況を変えるきっかけのひとつとなったのが、ファリダ自身の証言や、インドのインディペンデント音楽史を再検証する動きである。インドのインディーズ・ミュージックの歴史を追ったドキュメンタリー『Standing By』でもザ・レディバーズは取り上げられ、「India’s first all-girl rock band in the ’60s」として紹介された。近年、インドのロック史やインディー音楽史そのものが再発見される中で、ザ・レディバーズの存在にも再び光が当たり始めている。

そして彼女たちの歴史は、現在のインドの女性アーティストたちとも決して無関係ではない。2000年代にはViva!のようなガール・グループが全国的な人気を獲得し、2010年代以降になるとインディーロック、メタル、ヒップホップ、エレクトロニカなど、さまざまなジャンルで女性ミュージシャンが存在感を強めていった。しかし、その歴史をさらに遡っていけば、1960年代のボンベイでギターを抱えていた4人の少女たちにたどり着く。

大規模なヒット曲を残したわけでも、数多くのレコードを発表したわけでもない。それでもザ・レディバーズが重要なのは、「インドの女性たちが自分たちでロックバンドを組み、楽器を演奏する」という行為を、極めて早い時代に実践していたからだ。

インドの女性ポップ史をViva!や2000年代から始めるのではなく、そのルーツを1960年代まで遡る。そのときザ・レディバーズは、インド女性ロック史における“失われた第0章”とも呼ぶべき存在として浮かび上がってくるのである。

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