• HOME
  • ヒップホップ
  • フィメールラッパー列伝01:第0世代ハード・カウル、ソフィア・アルターフ

フィメールラッパー列伝01:第0世代ハード・カウル、ソフィア・アルターフ

アメリカにおけるフィメールラッパーの始祖的な存在は1980年代初期から存在していたといわれ、1980年代後半になって、クイーン・ラティファやソルト・ン・ペパなどが次々と台頭する。90年代に入るとさらに拡大していくことになった。さて、インドではどうだろうか……。

インド音楽というものが、映画音楽と古典音楽から離れて、構築されてきた背景は、ジャンルによって、その進化の過程も異なるのだが、明確にヒップホップが扱われ始めたのは、90年代初期といえるだろう。もちろん地方での小規模コミュニティやアングラとして密かに育てていたアーティストがいなかったと言い切ることはできないが、表舞台に登場してきたのは、やはり90年代初期だ。

90年代になると、インド初のラッパーといわれるババ・セガール(Baba Sehgal)やインド映画音楽でお馴染みの作曲家兄弟デュオ、サリム・スレイマン(Salim–Sulaiman)がインド映画の楽曲よりも先に、1992年に手掛けたアルバム「Raaga Raaga」には、ブードゥー・ラッパー(Voodoo Rapper)という、謎の覆面ラッパーが参加しており、今も正体不明で憶測が飛び交っている。

ブードゥー・ラッパーに関しては、また別の機会に……。

2000年代に入ると、ラップバトル・コミュニティがいくつか誕生する。そのなかで一番知名度が高いのは“インシグニア”であり、ブラーシック・バーイ(Brassic Bhai)や『ガリーボーイ』(2019)のモデルにもなったディヴァイン(Divine)、MWA、ムンバイズ・ファイネスト(Mumbai’s Finest)の元メンバー (キンガ・レイムズ(Kinga Rhymes)、AP、Top Dawg など)、GD 47、Kru 172、D’ Evil、アンコール(Enkore)、3ple Beat、シカンダール・カーロン(Sikandar Kahlon)、Rob Cといったアーティストが入り浸って技術を磨き合っていたとされている。

2000年代後半~10年代にかけての急速なデジタル化に伴い、インターネットやYouTubeが身近なものになると、ヒップホップ・コミュニティは次第に拡大していくことなり、今のインド(デシ)・ヒップホップ界の基盤ともいえるネイジー(Naezy)、ディヴァイン、“マフィア・ムンダール(Mafia Mundeer)”バードシャー(Badshah)、ヨーヨー・ハニー・シン(Yo Yo Honey Singh)、イッカ・シン(Ikka Singh)……などなどが、アングラから飛び出し、頭角を現し始めた。

2010年代後半頃になると、映画音楽にも若者需要拡大のために、頻繁にヒップホップが取り入れられるようになり、ジャンルとして幅広く認知されるようになるが、それを決定づけたのは『ガリーボーイ』のヒットが大きいといえるだろう。

いよいよフィメールラッパーの話に移ろう。『ガリーボーイ』の公開時には、インド・ヒップホップ界の女帝ラジャ・クマリ(Raja Kumari)や当時は若手扱いだったDee MCはすでに活動を開始しており、同作にも本人役で出演していたが、ラジャがアメリカからインドに拠点を移したのは、2017年に『Kaatru Veliyidai』や『Vivegam』といった映画の楽曲に参加するようになったことがきっかけ、つまり2010年代後半になってからだ。

そこをフィメールラッパーの第1世代というなら、基礎の基礎を作った第0世代の話から始めよう。

そもそもインドでは女性蔑視や家父長制が強かったこともあり、古典舞踊やバジャン(宗教歌)などの女性のたしなみとして活かせるようなものを除き、西洋から来た現代的な音楽の道に進むことも白い目で見られていたというのに、女性がスラングを使ってラップをするというのだから、歓迎された行為ではなかったし、ヒップホップ自体が男目線でドラッグや婚前セックスを助長し、若者の堕落に繋がると非難されていた。ただし、それはヨーヨー・ハニー・シン人気で世間にヒップホップというものが少しだけ認知されてきた2010年代の話であり、それ以前は認知度自体に問題があって、入り口もほとんど無かった。

こう聞くと、フィメールラッパーの誕生は、2010年代後半だと思うかもしれないが、実はインドで初のフィメールラッパーといわれているハード・カウル(Hard Kaur)は2007年に誕生している。というか、インドにやって来たというべきだろうか。1991年に母親がイギリス人と再婚したことで、インドからイギリスに移住したハードは、イギリスでラッパーとして活動を始め、1997年にEP「Voodoo Hill」をリリースし、2005年「Ek Glassy」でも注目を集めた。

そんなハードが、2007年にボリウッド映画『Johnny Gaddaar』の「Move Your Body」で、初めて女性ヴォーカルによるラップソングを持ち込んだとされている。同年にファーストアルバム「Supawoman」をリリースするなど、ハードのアクティブな姿勢はインド音楽界を大きく刺激することになった。女性を主体とした曲のなかにも、ヒップホップ風味のある楽曲はそれ以前にも存在しており、プレイバックシンガーがそれっぽく歌うことはあったとしても、明確にラップパートといえるものが登場するようになったのは、ハードの影響が強いだろう。

こともあり、「Move Your Body」は好評を得て、ハードは映画音楽界に新たな居場所を見出し、2000年代後半~10年代後半にかけて「Haule Haule」や「Main Tera Dhadkan」といったヒットソングを多く生み出していく。

2008年になると、タミル出身のソフィア・アシュラフ(Sofia Ashraf)が非映画音楽のラッパーとしてデビューする。ソフィアは産業災害を扱った「Don’t Work for Dow」や水銀汚染を扱った「Kodaikanal Won’t」など、社会問題をラップにして、世間にメッセージを発信し続けた。小柄で普通の女性が強烈な社会批判ラップを披露していたのだから目立たないはずもなく、ブルカ・ラッパー(ビジャブを着用してラップを披露するフィメールラッパー)として世界的な話題となった。

関連記事一覧