
メディア寄稿: 『マライコッタイ・ヴァーリバン』(映画チャンネル)
『イエス様 マリア様 ヨセフ様』(2018)、『ジャッリカットゥ 牛の怒り』(2019)、そして第34回東京国際映画祭で上映された『チュルリ』(2021)からなる、舞台が現世ではない三部作(計画されたものではなく結果的に)など、インドにおいて、全く型にはまらず強烈な個性の映画作家として一目置かれるリジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ。
リジョー自身が厳格なキリスト教徒ということもあり、信仰や聖書の引用など、エキュメニカル的要素の強い作品が多いのも特徴的。Netflixで配信された『Nanpakal Nerathu Mayakkam』(2022)においても、それは強く反映されていた。
リジョーのホームグラウンドであるケーララ州は、キリスト教徒の多い地域。つまり自然なかたちで取り入れることが可能。地方に残る土地の神秘性と組み合わせることで、唯一無二の世界観を構築してきた。
ところがこの度、日本公開となる『マライコッタイ・ヴァーリバン』では、エキュメニカル要素は一旦抑えている。ベースとなるマインドとしてはあるのかもしれないが、あからさまなものは無かった。さらに地方性よりもアート色が強くなっており、今までのリジョーのスタイルは維持しつつも、また少し違った挑戦を試みているようにも感じられる。
リジョーは否定しているが、明らかに娯楽性も強くなっていた。何より、あまりダンスシーンのイメージがなかったというか、逆にほとんど無い監督とされてきたリジョーの作品で、ダンスシーンが目に見えて多いというのは、時代背景や民話性の協調も若干あるだろうが、娯楽要素の追求としての側面を強く感じた。そういった、いくつかの点において、従来のリジョー作品ファンからは否定的な意見が多いのも理解できる。実際に興行的には失敗し、続編制作ありきでスタートしたにも関わらず白紙になってしまったものの、今作をリジョーが撮ったというのは、逆に作家性の幅が圧倒的に広がったともいえる。
そうは言っても、近代化していく北や東インド映画とは逆行するように、アドレナリンが湧き上がるドメスティック・パワーは、作家性というよりも血肉として培われてきた、南インド・マラヤーラムの風を感じられることは間違いない。総合評価すると、リジョーの映画人生において、必要な失敗だったともいえるし、今後、今まで以上に見たこともない世界を見せてくれそうな期待感に繋げてくれたのは見事だ。
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