
映画・ドラマ短評『デーヴァラ』(2024)
今回、日本では失敗と言うしかない。正確にはPRした割には…と言うべきだろうか。
近年、日本で公開されているインド映画は、例えば配給会社のツインが宣伝次第もしていて、たまに個人パブリシティが付いていることが多いのだが、ここぞというところでは、大手パブリシティを付けてくることがある。
『RRR』の場合は、ディズニーや東宝の作品も関わることがあるマンハッタンピープルとフラッグが入っていて、今回の『デーヴァラ』においてもフラッグが入っている。
ツインとしては『RRR』に続くヒットの波を起こしたかったようだが、タラクさんとコラターラ・シヴァ監督が来日して、メディアに出まくっていたというのに、章末興収トップ10すら入らない大失敗。実際に地方では、全く観客が入らず、上映回数も翌週には1日1回にされてしまう始末。
ハチャメチャ痛快娯楽アクション路線でインド映画を売り出すのも限界に差し掛かってきていることが証明されてしまった。
インドでは、女性の権利やLGBTQ+など、社会派な作品が多くなってきているし、ホラーも独自の進化をしてきている。そんな中で、王道の娯楽路線を連発されても飽きてしまうのは当たり前であるし、インドのトレンドからズレてしまっていることに気づけていない時点で問題である。
作品が悪いとかではなく、もう少し目先の利益だけにしがみついたようなマーケティングを改善するべきだ。
とはいえ、作品自体も微妙といえば微妙。つまらない作品とまでは言わないが、設定の部分でいろいろと難があるのも事実。
『RRR』のように、エンタメ性で突っ切るほどの熱量が無く、中途半端に社会派作品に仕上げようとしているがゆえに、粗が目立ってしまっている。
『ジャナタ・ガレージ』にも同じ欠点があったというのに改善されていないのが何より問題というか、シヴァ監督の精神が成長できていない。
それは男の独断で物事を決めることによって、家庭を守る女性が結果的に犠牲になっていることだ。
良くも悪くも主人公の思想が強く融通がきかない亭主関白タイプ。
他人のためと言って、自分の家族を犠牲にする。それもひとつのミソジニーであることに、シヴァ監督は、いい加減気づくべきではないだろうか。こういった思想は、時代に全く合っていない。
また、それが事態を悪くしている。デーヴァラは、仲間と対話をすることができないのだ。
暴力を使って止めようとするが、その前に、今後のことについて話し合いをしていれば解決できたことかもしれないというのに、ひとりで突っ走ってしまう。
美談のようにまとめられている部分も多いが、全体的に過程が欠落していたがゆえに起きたことである。
タラクさんのスター性で何とか保っているだけに過ぎず、なかなかスカスカな作品だといえる。